“
葬儀に参列してくれたのだとしても、包んで来た香典の金額が極端に少額だった場合などは、ちょっと困る。整理しにくい何かが残る。
「あいつは常識が無いのだろうか?」
「それともオレに対して何か含むところがあるのか?」
「っていうか、単にケチなんだろうか?」
「札を間違えたのかなあ」
と、色々な可能性を考えてしまう。といって、相手に直接尋ねることはできない。結果、一人心の中にしまうことになる。それがまた負担になる。
同じケースでも、相手が外人さんなら、ノープロブレムだ。
たとえ香典袋に500円玉がひとつゴロンと入っていたのだとしても、それはそれでお茶目な事件として笑って受けとめることができる。
「スティーブの香典には参ったよ」
「へえ、あいつ香典なんか持ってきたのか。しゃれたことするじゃん」
「うん。でも、金額が230円だからなあ」
「にひゃくさんじゅうえん?」
「そう。きっと何かのお釣りをそのまま入れたんだと思うぞ」
「コンビニのレジに置いてあるあゆみの箱と同じ解釈をしたのかもな」
「うん。でも、オレはうれしかったよ。あいつの230円」
なんだか素敵な話になっている。
” 次期代表チームの監督にはジローラモを:日経ビジネスオンライン (via lovecake) (via yasaiitame) (via mcsgsym) (via tra249)“「さようなら!またいつかどこかで!」私たちはいつもさよならばかりしている。私たちを再び引き合わせる僥倖に感謝せよ。”
Gimme Gimme: (via lookalikelike) (via repsychose)
“花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ” - 寺山修司
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